電子マネーについて
貨幣価値をデジタルデータで表現したもの。クレジットカードや現金を使わずに買い物をしたり、インターネットを利用した電子商取引の決済手段として使われる。専用のICチップに貨幣価値データを記録するICカード型電子マネーと、貨幣価値データの管理を行なうソフトウェアをパソコンなどに組みこんでネットワークを通じて決済を行なうネットワーク型電子マネーの2種類がある。 先物取引。4つの州と連邦首都イスラーマーバード及び連邦直轄地から成る連邦国家。 インドとの対立関係もあり、伝統的に軍部の力が強い。独立以来クーデターが繰り返され、政局は常に不安定である。パルヴェーズ・ムシャラフ前大統領も、1999年の無血クーデターでナワーズ・シャリーフ首相(当時)から実権を掌握し、2001年の民政移管でそのまま大統領に横滑りした人物である。 対照的に政党の力は弱い。パキスタン人民党の初代党首だったズルフィカール・アリー・ブットーは大統領や首相を歴任した後にムハンマド・ズィヤー・ウル・ハクのクーデターにより職を追われ、後に処刑された。その娘のベーナズィール・ブットーは1988年にイスラム諸国初の女性首相となったが、やはりクーデターで解任され、復帰した後も汚職や不正蓄財を理由に職を追われている。米国の支援を受けて2007年11月に帰国するも同年12月27日、演説終了後会場にて暗殺された。 地方においては部族制社会の伝統が根強く、その慣習法が国法を上回り中央政府による統制がほとんど効かない状態になっている。特に連邦直轄部族地域にその傾向が著しく、アフガニスタンとの国境地域にオサマ・ビンラディンなどのアル・カーイダ主要メンバーが潜伏しているという米国などの指摘の根拠となっている。 また、南西部のバローチスターン州ではイギリス植民地時代からの独立運動が根強い。 このような中央政府の弱さが、2005年10月8日に発生したパキスタン地震における大きな被害の発生と、救援体制の弱さによる二次被害の拡大につながったとされる。 2006年8月現在イギリス軍は4500名の軍隊を派遣して麻薬組織やアル・カーイダと同列の組織をあぶりだす作戦を展開中。 FX、軍参謀長でもあるムシャラフ大統領が、自身の地位を巡って最高裁と対立、軍を動員して全土に非常事態宣言と戒厳令を発令するという事実上のクーデターをおこなった。ムシャラフ氏は、11月28日に陸軍参謀総長を辞職して、29日に文民として大統領に就任し、11月に発令した非常事態宣言を12月16日に解除するとテレビを通じて発表した。また、2008年1月8日に、現憲法下で「自由で透明性のある方法」で総選挙を実施すると公約した。 2008年2月18日、パキスタン下院・4州議会議員選挙が行われた。登録有権者は8,091万人。下院定数342のうち、女性60、非イスラム教徒10が留保される。342から留保の70を除いた272議席が直接投票で選挙区制の一般選挙区で選出され、70の留保議席が各党に割りあたえられる。与党パキスタン・ムスリム連盟(PML)と野党パキスタン人民党(PPP)、パキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派(PML-N)の3党が中心となって議席が争われた。因みに、上院は100議席で、州議会議員等による間接選挙で選出される。総選挙の結果は、第1党はパキスタン人民党、第2党はパキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派、次は与党だったムスリム連盟である。他にムッタヒダ民族運動(MQM)、アワーミー民族党(ANP)などがある。 同年3月24日、パキスタン国民議会は、議員投票でユースフ・ラザー・ギーラーニー(就任時55歳)を首相に選出した。ギーラーニーは264票の圧倒的な支持を得た。人民党と連立するムスリム連盟シャリーフ派などの反ムシャラフ派は、下院議員のほぼ三分の二を占めた。 同年8月18日、それらの影響を受けムシャラフ大統領はついに辞意を表明した。 2008年9月6日、パキスタン国民議会上下両院と4州議会の議員投票にて大統領選挙が行われ、パキスタン人民党総裁のアースィフ・アリー・ザルダーリーが新大統領に選出された。 独立以来、アメリカとの協力・同盟関係を維持しながら、カシミール問題で激しく争うインドに対抗するのがパキスタンの一貫した外交政策である。インドに対抗して、カーン博士の指導のもと、1998年には地下核実験を実施し、ミサイル発射実験などを行った。インドと共に核保有国の一つである。 東隣の大国インドとは北東部のカシミール地方の所属を巡って争っている。1948年以来3度の全面戦争を経験し、特に1971年の第3次印パ戦争では大敗した。その結果、独立運動に呼応したインド軍の侵攻を受けた東パキスタンをバングラデシュとして失うことになった。その後もインドとの間では常に緊張関係が続き、軍事境界線で南北に分断されたカシミールでは両国軍の間で死者を伴う散発的な衝突が日常化していたが、ムシャラフ政権は南アジア地域協力連合を通じた緊張緩和に努めており、その成果は徐々に現れてきている。 パキスタンは独立以来、アメリカ合衆国の軍事支援を受け入れている。アメリカにとっては非同盟主義のインドと友好関係が深いソビエト連邦への対抗上、またイスラーム革命を起こしてアメリカと激しく対立するイランの封じ込め策として、パキスタンは重要な支援対象国家である。パキスタン側もこの点は承知しており、クーデターなどで政権交代が起こっても親米路線は堅持されている。1990年、東西冷戦の終結が唱えられる中、アメリカのジョージ・ブッシュ(父)政権はパキスタンによる核開発疑惑を理由に軍事援助を停止したが、1996年にはビル・クリントン政権によって再開されている。 また、中華人民共和国との関係も深い。中国とはインドへの対抗で利害が一致しており、パキスタンはミサイル技術供与などの軍事援助などを受け、核兵器開発についても支援が指摘されている。また、北部地域と中国の新疆ウイグル自治区との間はカラコルム・ハイウェイで結ばれており、トラック輸送による国境貿易が行われている。 国内でのイスラム原理主義運動を抑え込む一方、アフガニスタンに関しては1979年に始まったソビエト連邦の侵攻で反政府ゲリラのムジャーヒディーンを助け、厳格な原理主義のターリバーンを発足から政権樹立まで強力に支援した。しかし、ターリバーンがかくまうアルカーイダがアメリカ同時多発テロ事件を起こした事から始まった2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻ではムシャラフ政権がアメリカ支持を表明し、ジョージ・ブッシュ(子)政権からF-16戦闘機供与を含む巨額の軍事・経済援助を受けた。これに対し、イスラム原理主義者をはじめ、イスラム教徒に対するキリスト教国の攻撃に反感を持つ多くの国民から不満が増大し、パキスタン国内では多くの抗議行動が起こった。 日本との関係は1958年の外交関係樹立以来おおむね良好で、2002年にはムシャラフ大統領が来日した。2005年4月には小泉純一郎首相が日本の首相として5年ぶりにパキスタンを訪問し、核実験以来停止されていた有償資金援助が開始された。ただし、同年10月のパキスタン地震では、首都イスラーマーバードのアパート崩壊により国際協力機構(JICA)の日本人技術者が息子と共に死亡する事故も起こっている。 また、貿易収支は日本側の大幅な黒字であり、日本からの投資はインドと比較するとかなり少ない。これは不安定な政治とインフレ経済が嫌われたものである。