残債方式について
残債方式とは、各分割返済単位期間(例えば、毎月返済なら1ヵ月間)ごとに、残存元本に対応して実質金利を掛けて、利息計算を行う金利計算方式。元金残高が減少することにより、支払利息も減少する。 元金均等返済、元利均等残債方式、リボルビング方式などはすべて残債方式に含まれる。なお、残債方式によって計算される利息を「単準利息」という。 予備校が終結した後、日本の一部としての立場から米軍統治を経て独立をした。李承晩・金九ら右派民族主義者を中心として建国された当初から、日韓関係は冷ややかなものであった。当時から韓国側には日韓併合と、それに伴う同化政策に関して謝罪や賠償を行わないことに対する批判があった。 一方、日本側には、日本国内において「自国固有の領土である」という認識が一般的な竹島(韓国名は独島:??)を、韓国が「我が国の領土である」と主張して武力占拠、日本海上に一方的に李承晩ラインを設定し、この線を越えて操業する日本漁船を拿捕し乗員を不法に抑留・殺害してきた事に対する批判があった。この時代には、第一大邦丸事件のように、多数の罪無き日本人が韓国軍人によって殺された。 李承晩政権期は国交断絶状態であったが、朴正煕政権が成立して両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題が最も紛糾したと言われている。韓国による対日請求権の主張に対して、日本側は日本統治時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で52.5億ドル[2])を主張することで韓国側に対抗した。 塗装工事、日韓基本条約とともに締結された「日韓請求権及び経済協力協定」にもとづいて、日本は約11億ドルの無償資金と借款を援助し、韓国は、日本による経済協力と引き換えに対日請求権を放棄した。韓国はその資金をインフラの整備に充て、戦時徴兵補償金は死亡者一人あたりわずか30万ウォン(約3万円)であった[3]。なお、日韓基本条約は米国にとってはインドシナ戦争の後方支援体制作りを進めるもので、この条約によって、韓国がベトナム戦争に軍事貢献し、その韓国を日本が経済的に支える構造がつくられた[4]。 その後 1997年のアジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの同じく経済通と呼ばれた金鍾泌であった。IMF支援の際、日本は韓国に対するIMF緊急支援570億ドルのうち百数十億ドル分を負担した[5]。 2003年に盧武鉉政権が発足した。盧武鉉政権は当初、歴史問題に言及しないと言明するなど両国関係は良好であるかと思われたが国内においては、日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定するなど一貫して反日的な政策を取っていた。盧武鉉政権は日本時代の親日派問題の清算として「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」及び「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定し、反民族行為認定者の子孫の土地や財産を国が事実上没収する人権蹂躙とも取れる法を制定し、実際に「親日派」10人の子孫が所有する約13億6000万円相当の土地を没収する(2007年8月13日 読売新聞)など適用がはじまっている。 ほどなく、両国政府関係は、島根県の「竹島の日条例」の制定や日本の国連常任理事国入りを目指した動き、靖国神社参拝に関する対立、歴史教科書の内容に関する対立もあり悪化した。民間交流のあり方も一様ではない。韓流ブームも影響して民間交流は活発化しているかに見える一方で2004年から2005年にかけては日本に対する抗議デモの影響により交流行事を韓国側からキャンセルするケースがいくつか出た。 経済面において韓国は、日本との関係が深い。韓国から日本への電子部品や工作機械などの輸出も増大している。韓国の対外輸出の増加にともない、日本からの部品輸入や日本への特許使用権料の支払いも増加しており、戦後一貫して韓国の対日貿易は赤字が続いている。2007年度には対日貿易赤字が過去最高の289億ドル(約3兆2000億円)に達した[6]。 おせちとして韓国は技術、部品、素材などの日本への依存度が高く、かつ韓国の技術力、信頼性は日本より劣るものであることから、韓国製品の日本輸出が難しいという構造的問題があるとされ[7]、「韓国が世界貿易で稼いでも、その半分以上を日本へ引き渡している構図である」[8]と指摘されている。対日輸入の金額自体は増加しているが、輸入に占める割合は2005年には18. 5%、2006年は16. 8%まで下がっており全体的に減少傾向にあり、輸出でも同様の現象が起こっている。これは韓国企業が開発途上国など新興市場を積極的に開拓したことが大きい[9]。 李承晩政権時代には外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に2度に渡り通商断交を宣言したことがある。その第1回は1955年8月〜翌年1月、第2回は1959年6月〜翌年4月である。しかし、2回とも1年以内に通商を再開している。2003年に両国首脳は自由貿易協定 (FTA) 締結を目指すことで合意したが、交渉は難航している。 * 韓国の建国以前の日朝関係、及びに日韓関係の詳細については、日朝関係史を参照。 日本海の呼称に関する両国間の対立については、日本海呼称問題を参照。 中華人民共和国との関係 国交樹立 1951年、中国人民義勇軍が朝鮮戦争に参戦し、一時はソウルを占領したことにより、韓国と中華人民共和国の関係は長らく敵対的なものとなった。韓国は中華人民共和国と敵対する中華民国と親交を深めた。しかし1979年の中華人民共和国の対外経済開放政策や1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、韓国の対中政策は転換した。 人口が多く市場として有望で、安価な労働力の提供が可能な中華人民共和国との国交樹立を模索する産業界からの要請もあり、盧泰愚大統領は1992年8月24日に、中華人民共和国との国交を正常化、中華民国とは外交的に断交した。 経済的関係 これ以降、韓国では対中投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中華人民共和国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回り、投資額は国家としては第1位となっている[10]。とくに山東省青島、遼寧省大連、吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中華人民共和国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。 しかしながら投資額が国家として1位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は04年の62億5000万ドルから、07年には1〜11月段階で32億3000万ドルと3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては2008年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる労働契約法や現地トラブルも重なり「中華人民共和国離れ」が加速している[11]。また、WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。 なお、韓国の中華人民共和国における商業スタイルの特徴的な点としては、中華人民共和国の安い労働力を使い生産するのではなく(無論、中華人民共和国の安い労働力を求めて進出する企業も存在する)直接投資を続ける一方で市場を攻めてブランド価値の高い製品の輸出を行うことが挙げられる。